井伊家墓所

イイケボショ

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カテゴリ 観光歴史
種別 名所、歴史、文化、人物、語り継

特徴

【渋川城跡と井伊家墓所】
●渋川は渋川井伊家が居城を構えていました。渋川城は元組の小高い丘にあったとされ 今は茶畑と田んぼ 堀跡と思われる沢が流れます。
ここは 初代当主 共保の墓があり 一帯は殿界戸と呼ばれています。
北側には菩提樹の木とともに歴代井伊家の墓が並びます。

●井伊家は近江国彦根藩の主家です。
●井伊家の墓石は(直之・直貞・直親など)八基があります。
●菩提樹は樹齢300年です。

※Wikipedia参照

位置情報

地区 鎮玉地域
バス停 渋川大いちょう前バス停
インター1 三遠南信自動車道(渋川寺野インター)
インター2 新東名高速道路(浜松いなさインター)
警察署 細江警察署
交番 細江警察署 渋川駐在所
消防署 浜松市消防局北消防署
消防出張所 北消防署引佐出張所
公共交通機関 ●「渋川大いちょう前」バス停より徒歩約5分!
お車 ●天竜浜名湖鉄道「金指駅」より車で約25分!

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コメント
【井伊氏】
●家紋/彦根橘(丸に橘)
●本姓/

・藤原北家良門流または藤原南家為憲流
・工藤氏流
・三国真人?
●家祖/井伊共保
●種別/武家・華族(伯爵)
●出身地/遠江国引佐郡渭伊郷井伊谷
●主な根拠地/遠江国井伊谷・近江国彦根・滋賀県彦根市 など
●著名な人物
・井伊直政
・井伊直弼
・井伊直愛
・井伊直孝
・井伊直虎
歴史
【近世大名としての井伊氏】
●1575年(天正3年)直親の遺児の井伊直政(後に徳川四天王の1人となる)は今川氏を滅ぼした徳川家康を頼り 多くの武功をたて 1590年(天正18年)には家康の関東入府に伴い上野国箕輪12万石 関ヶ原の戦いの後には近江国佐和山に18万石を与えられる。
直政の死後 直政の子の井伊直勝は1604年(慶長9年)に近江国彦根に築城したが 1615年(元和元年)幕命により弟の掃部頭直孝に彦根藩主の座を譲った。
直孝の代には30万石の譜代大名となる。なお直勝は亡父の官名・兵部少輔を世襲 3万石として安中藩藩主となった。

【宗家・井伊掃部頭家(彦根藩)】
●江戸時代の彦根藩家は直澄、直該、直幸、直亮、直弼と5代6度(直該が2度。なお直孝・直澄が大老になったかどうかは議論がある)の大老職を出すなど 譜代大名筆頭の家柄となる。
また、堀田家、雅楽頭酒井家、本多家などの有力譜代大名が転封を繰り返す中 彦根藩家は1度の転封もなかった。

彦根城は、18万石の城として築城されたもので、築城にあたっては幕府が諸大名に御手伝普請をさせた。 幕府が、大名の城を他の大名に普請させたのは、異例中の異例であって、京・大坂に備える城という意味があったといわれている。[要出典]

江戸時代後期に直弼は老中阿部正弘の死後に大老となり、将軍後継問題では南紀派を後援し、一橋派への弾圧である安政の大獄を行うが、桜田門外の変で暗殺された。直弼の死後、幕政の混乱の責任を直弼に押し付けられる形で10万石を没収されたことから、大政奉還後には譜代筆頭にもかかわらず新政府側に藩論を転向。鳥羽・伏見の戦いでは新政府側に属し、続く戊辰戦争にも転戦する。

【明治・大正から昭和まで】
明治17年(1884年)伯爵となり華族に列した。また 最後の藩主井伊直憲の孫の井伊直愛は 井伊家の旧領である彦根市の市長を1953年から9期にわたって務めた。

【現当主】
●現・18代当主は、井伊岳夫。
彦根市役所勤務 彦根城博物館長。17代井伊直豪の長女・裕子と婿養子として結婚した。

【分家・井伊兵部少輔家(与板藩)】
江戸時代
●井伊直政の長男、直勝は表向きは病弱だったとされ、幕命により本家を弟に明け渡す形でこの直勝が興した系統は、旧武田家臣などの外様や幕府からつけられた家臣ではなく、小野氏等、「本来の井伊氏の譜代家臣」が多かったと伝わる。安中藩から西尾藩、掛川藩と転封された。直勝の曾孫である掛川藩主・直朝は発狂を理由に改易となった。

しかし、宗家・掃部頭家から直興(直該)の 四男・直矩(直朝の妻の兄弟に当たる)を兵部少輔家の5代目に迎えての家名再興存続が許され、城を持たない(無城主格)2万石の越後与板藩主となった。その後、10代・井伊直朗が若年寄となったため、城主格に昇格した。

明治・大正から昭和まで 編集
14代・井伊直安は明治17年(1884年)7月、華族令により子爵となる。明治29年(1896年)1月には貴族院議員に選出され、大正9年(1920年)12月まで在任した。

次の15代・直方も貴族院議員を務める。17代・井伊脩は大学で文学を専攻し作詞家・作曲家となり[5]、作品集「鉛のドラマ―井伊脩歌集」などを出版している。

【現当主】 編集
現・当主は18代・井伊達夫(旧姓:中村)で、甲冑・刀剣史学研究家として知られる。平成19年(2007年)に17代・脩と養子縁組して名跡を継ぎ、2018年現在、京都府京都市東山区花見小路にある京都井伊博物館の館長となっている。 「おんな城主 直虎」がNHK大河ドラマで放送開始したのを受け、甲冑「紺糸威本小札胴丸」、脇差「直江志津兼友作の脇差」などを展示している[6]。

家臣団
史料
系図 編集
井伊氏系図
凡例
1) 実線は実子、点線は養子
2) 数字は家督継承順。
3) 太字は掃部頭家(宗家)当主。斜体は兵部少輔家当主。

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